保江邦夫の
保江邦夫による
保江邦夫のための
著書はしがきキセル読み
『戦闘機乗り爺さんの世界一周 ―― やってはいけない大冒険!!』(講談社)絶版

【まえがき】
「エンジンの音ーーー、囂ー々ーと、隼は行ーくー、雲ーの上ー」音痴でも歌えるはずの軍歌の中で、この加藤隼戦闘隊の歌だけは例外だ。それでも、ふと頭の中に湧いて出る節回しとともに、掠れた白黒フィルムの記録映画の場面が蘇ることが多々ある。帽子を手に振る整備兵に頷きながら、次々と黎明に向かって飛び立つ戦闘機。大きく開いた風防から見えるまだ若き戦闘機乗りの横顔。見ると自分の顔にダブるかのように、操縦席からの視線に変わっていく。だが、その視線は自分自身のものではなく、若き日の親父の視線に他ならないのだ。
父、保江輝義は一九九八年四月一日に、おそらくこれまでの中で最も平安な死を迎えることができた。古いが、心の行き届いた病院の中で、献身的な看護婦と実直で真摯な医師が手を尽くす間に、唯一人の最愛の家族に看取られながら。
僕はそのとき、大学入学を翌日にひかえた娘とともに武蔵境にいた。これも因縁なのだろうか、親父が若き日に戦火の東京を爆撃から守るために大空に舞立っていった調布飛行場のすぐ側だ。周囲の反対を押し切る形で国立を蹴ってICUに進学した孫娘だったが、その(親父には馴染みのない名前の)大学が奇しくも調布飛行場跡地にあると知った親父が戦後初めて訪ねてみる気になっていた矢先の死。夜明け前の電話で父の満たされた死を知ったとき、僕は悲しみもなく、涙もなく、窓を開けてただじっと、親父も見上げただろうこの薄暗い空を見つめていた。
そのときから、僕の頭に冒頭のイメージが焼き付いて離れなくなった。僕自身決して目にすることのできなかった、戦闘機乗りという親父の若き日の姿は、おそらく僕から見た親父の聖域だったに違いない。僕がかいま見ることができた姿は、滅私の奉公を至福とする地方公務員の枠の中でだけ捉えられたものでしかなかったのだ。
事実、父は戦闘機乗りだったという自分の青春時代を語ることはなかった。ただ、死ぬ二年前に(いま思えば最初で最後の親孝行だったのかもしれないが)第二就職の先も退職して初めて自分の時間を持てるようになった親父を連れて、二週間で世界一周の旅に出たときだけは例外だった。いつものように、互いに無言でいることもあったが、何日かおきに飛行機に乗り、あちこちの飛行場でトラブルに巻き込まれていくうちに、ふと気がつくとにこやかな親父の顔を目にすることが多くなってきた。そして、断片的ではあるが、戦闘機乗りの頃の話が出るようになった。
行きたかった大学への道を徴兵によって閉ざされた父は、持ち前の運動神経と視力によって図らずも陸軍航空隊に配属となり、熊谷の訓練学校で即席の下仕官操縦士となった。当時、加藤隼戦闘隊で勇名を馳せた一式戦闘機「隼」の及ばない高高度を悠々と飛行する米軍の爆撃機が現れ始め、急遽対抗措置として開発中の次期戦闘機の機体に爆撃機用の馬鹿でかいエンジンを積んだ、間に合わせの新型戦闘機が配備されたときだった。
二式単座戦闘機「鐘馗」と呼ばれたずんぐり型の新型機は、初々しい新兵操縦士の父を載せて中国戦線へと送り込まれた。飛行第九戦隊の単座戦闘機乗りとして幾つもの修羅場を切り抜け、辛うじて命長らえていた父に転属命令が下った先は、陸軍航空隊調布飛行場にあった首都防空隊であった。同じ飛行第九戦隊所属ではあっても、調布飛行場を本拠地として整備陣豊富な首都防空隊は、友好国ドイツのメッサーシュミットの技術を借りた最新式水冷エンジンの三式戦闘機「飛嚥」を駆って、首都圏の防備にあたっていたそうだ。
そこに愛機とともに突然に戻された親父以下数名のパイロットは、三式戦では手に負えない高高度重爆撃機B29による東京空襲の事実を知る。下った特命は、二式単戦の大馬力のエンジンと大口径機関砲にものをいわせた、一撃必殺の高高度迎撃作戦だった。猛スピードで駆け上がりざまに一撃、そしてB29を見おろす高度で反転した後急降下で通り抜けざまに一撃。上昇性能を限界以上に高める目的で燃料は最小限にしか積まなかったため、すぐに飛行場に戻り燃料補給後再び急上昇。思えば、戦後地方公務員として人のために高麗鼠のように働きづめだった親父の原点は、この首都防空隊での緊迫した日々にあったのではないか。
一人でも多くの人を無差別爆撃から守りたい。そう願った父は、体力の限界を超え、機体の消耗の限界を超えるまで飛び続けた。それが、親父の誇りだったのだろう。だからこそ、首都防空に明け暮れていたがためとはいえ、あのとき広島の空の防空につけなかった自分を責め続けてもいたのだ。終戦を迎え、もはや守る民もなくなった父に、これ以上空を飛び続ける意志はなかった。求められていたのは、空からの守りではなく荒廃から立ち上がろうとする本土の現場からの守りだったのだ。
生き残った数少ない戦闘機乗りの一人として、戦後初めての旅客航空路線のパイロットへの誘いを蹴って岡山の田舎に戻ってきた父のその後は、首都防空隊時代の生活と変わることはなかった。調布飛行場が津倉町の家に変わり、二式戦闘機「鐘馗」が原動機付き自転車に変わっただけだ。僅かの休養と補給を家で得た親父は、大多数の時間を役所で戦後復興のために使いきっていたのだから。
父と駆け足で廻った世界一周の旅は、僕自身にとって親父の若き青春の時代へのタイムマシンだったのかもしれない。あの旅の二週間を思い出すたびに、見たこともあるはずはない若き日の父の生きざまが湧き出てくるのだ。
思えば、僕は放蕩息子だった。何から何まで親父に逆らい、そのため多くの失敗を重ね、損な人生を歩むことになった。それでも、親父はいつも最後には自由にさせてくれたのだが、だからといって一度たりとも恩に報いたことはなかった。何をするにも、親父の方が力があり、顔も広く、信望も厚かった。従って、僕が出る幕などなかったといえば言い訳に聞こえるが、それでも事実ではある。親父の前では、まだまだ一人前ではないのだ。それでも、あの世界一周の旅の後、父は親しい友人たちにこう話していたそうだ。「あいつも、大したもんだ」
我ながら、あのような世界一周の旅に父親を連れていける息子は他にはいないと信じている。だが、そうはいっても当事者の親父以外誰も信じてはくれないだろう。何せ、僕は放蕩息子なのだから。しかし、世の中には放蕩息子だからこそできることも、あるにはある。親父に食わせてもらいながら大学院を出た後、外国暮らしの中であちこちを旅した経験と度胸だけは、どんな孝行息子にも負けはしない。
というわけで、大したもんだと言ってくれる親父をなくしたいま、僕は親父に成り代わってこの放蕩息子の偉業を公にしたいと思う。その中で、親父が青春をかけた戦闘機乗りとしての若き日々が蘇るならば、これほどうれしいことはない。終戦後、役人としての父に暖かく接して下さった多くの皆さんの眼にも飛行帽を被った笑顔が浮かぶなら、放蕩息子として余りある光栄だ。
【あとがき】
世界一周航空券というのは、幾つかの航空会社が運行する路線を乗り継いで、西回りなら西回り、東回りなら東回りを維持して地球を一周する正規の航空券のことだ。正規の航空券なのだが、値段はそれぞれの運行路線の正規料金を加え合わせたものよりもかなり安い。それでは、なぜそんな航空券があることが知られていないのかというと、日本から出発する世界一周航空券は売られていないからだ。だが、近隣諸国の大きな国際空港から出発するものなら、日本でも間接的に買うことはできる。出発時には、別途購入した安売りの片道航空券で出発点の空港まで行ってから仕切直すという面倒があるが、それさえ我慢すれば格安で世界一周ができる。
さらに都合のいいことに、航空券の値段は現地の国の通貨で定められているために、為替変動の如何によっては、日本円で購入するとさらに破格な値段となる。僕が利用したエールフランスとユナイテッド航空を組み合わせた韓国ソウル発の世界一周航空券は、韓国経済が落ち込んでいったために、ファーストクラスのチケットですら五十万円台から四十万円台まで値下がりしていき、ついには三十万円台になったところで急遽ドル建てのみでの値段設定になってしまった。従って、今から同じルートで世界一周の旅に出ようとすると、そこまでは安くはならないのかもしれないが、それでも日本から出発して同じ路線を同じクラスで利用する値段に比べれば格段に安いはずだ。
無論、航空会社の組み合わせによって値段も変動するし、途中どうしても寄ってみたいところがあるが、ずっと同じ向きに地球を回っていくという条件に反する路線を利用せざるを得ないこともある。そんなときには、別途に格安航空券をその部分だけ買い求めておけばよい。それに、航空会社によっては、一度だけなら逆戻りのルートを許してくれる場合もあるそうだ。全ては交渉次第なのだが、問題は航空券が近隣諸国でしか売られていないことだ。現地の代理店などと電話で交渉するのも骨が折れるし、不謹慎な店に出くわしたらお金だけ盗られて泣き寝入りしかなくなる。
僕の場合、本当に運良く東京のアメリカンエキスプレス・トラベルサービス日比谷支店に迷い込んだおかげで、韓国発券の世界一周航空券を安全に安く手に入れることができた。ひょんなことから田舎者の僕の担当になった津山みどりさんのプロの旅行斡旋の技と卓越した英語力で、あの口うるさい親父殿も感心するほどの困難なルートでの世界一周の旅を見事に手配して下さったのだ。本文中にもご紹介したが、途中の難所での無事を確認するためにわざわざ国際電話を旅先に入れて下さるというご配慮まで頂戴した。まさに、旅行代理店で働く方々の鏡ともいうべきだが、残念ながら日比谷支店はそのすぐ後に閉鎖となり、今はアメリカンエキスプレス・プラチナサービスセンターに移動されてしまった。
直接の接客こそなくなったが、それでも電話を通してプラチナカードを登録しているお客様に対して、親身にご旅行のお世話を続けていらっしゃるようだ。僕の安月給ではとてもプラチナカードの会員になるのはおろか、ゴールドカードも持てないため、その後のご縁はないと思っていたのだが、先日久々に電話を頂戴した。何でも、お得意のお客様でご家族を連れて初めてアメリカに旅行し、しかもグランドキャニオンからモニュメントバレーまでレンタカーで行けるよう、手配を依頼してこられたとか。旅行の手配が仕事なのだから、単に営業の業績だけを考えるのならば、お客様のいうとおりに手配してしまえばよいのだが、やはりプロの信念がそうさせなかったようだ。そのお客様を説得して、まだ小さい子供と若い奥様だけを乗せて砂漠を車で走っていくなどという無謀な旅行を断念してもらうために、僕と親父の組み合わせでも死ぬほど大変だったという証言を求めてこられたのだ。
偶然とはいえ、こんなに立派な方に世界一周旅行の手配をしていただいたからこそ、あの連日の過酷な長距離ドライブを無事に乗り切ってこられたのだと思う。そして、親父殿とのあの弥次喜多道中の一部始終を、生前の親父が親しくしていただいた方々だけでなく、これからご家族と一緒に外国にフラリと旅に出てみようかとお考えの皆さんにも知っていただくことの大切さも教わった。顧客冥利につきるとは、まさにこの放蕩息子のことかもしれない。改めて、深く感謝したい。
最後に、十六日間世界一周に利用した航空路線と滞在先を列挙するが、もし同じようなルートでチャレンジしてみようと思われる方は、できれば倍の日数をかけていただければと願う。今だからこそ笑って語ることができるが、先を急ぐあまりヒヤリとしたことは数限りなかった。無事に帰ってこられたのは、初めての親孝行の使命に燃えた放蕩息子を憐れんで下さった神のご加護以外の何ものでもなかったはずだ。
『確率微分方程式 ―― 入門前夜』(朝倉書店)すうがくぶっくす
No.18

【まえがき】
我国における数学教育のレベルは,決して低いほうではない。しかし,効果が上がっているとも思えない。小・中・高・大学をとおし,上級学校の入学選抜のための道具としてしか考えられていないからだ。
2次方程式の解の公式は誰でも習う。その結果,「にえーぶんの,まいなすびーぷらすまいなするーとびーじじょうまいなすよんえーしー」は歳をとってもなかなか忘れない。しかし,実際に入学試験以外にこの公式を使って役に立った経験を持つ人が,いったい何人いるだろうか。
もちろん,数学は純粋な学問であり,その価値は役に立つ立たないという議論の中に見いだすことはできない。だが,国民総数学者になるわけでもないのに,純粋代数学の基本につながるような形で数学を教えるには無理があろう。
大多数の人にとって,数学とは算術,すなわち計算術であって,抽象化され普遍化された論理体系などは興味の外にしかない。「好きこそものの上手なれ」とはよくいったものだ。だれしも,興味を引かれることは,すぐに身につける。
いまの資本主義社会の日本において,最大多数の興味といえば,お金を増やすことだ。ことの善し悪しは別にして,老若男女を問わず自分の資産価値の変化には敏感になっている。おまけに,バブル経済がはじけたあとの乱世に追い打ちをかけるように,1998 年 4 月からは金融業界が自由化された。
新聞やテレビのヘッドラインには,金融ビッグバンの大きな文字が踊り続け,経済プロの集団だったはずの銀行や証券会社までもが資産運用を失敗した挙げ句の倒産劇。こうなったら,頼れる者は自分唯一人。
慣れない手つきで経済新聞をめくり,株価や為替の変化を必死で読みとる毎日が続く。ポートフォリオやデリヴァティブなどという正体不明のカタカナの洪水にもめげず,面白味もくそもない経済欄に目を向けるのも,少しでも自分の資産を増やしたい一心。
まさに,時はいま。ほんとうに役に立つ数学を学ぶチャンスが到来したのだ。
もちろん,金融業界は昔から百も承知。大口資産運用のための数学理論を求めて,著名な数学者の門を叩き続けてはいた。だが,どういうわけか純粋学問としての代数学の専門家などを担ぎ出したため,欧米の経済数学の伝統とパワーには太刀打ちもできない。
日本の数学界には,確率微分方程式という伝家の宝刀があったというのに。
しかし,金融ビッグバンという未曾有の乱世を乗り切ろうという覇気のある若者たちの中に,自然発生的にこの伝家の宝刀の臭いを嗅ぎつけた者が出始めている。「金融変動をコントロールできる数学の新しい理論には確率微分方程式が使われるようだ・・・。しかも,この確率微分方程式は日本人数学者が世界に先駆けて発見したらしい・・・」こんな話が兜町を飛び交っているのだ。
金融のプロとはいえ,この若者たちだって数学は苦手だ。覚えているのも入試公式としての,2次方程式の解の公式程度。それでも,日本経済の生き残りをかけて,確率微分方程式を身につけようとしている。
そんな熱気の中で数学を学ぶことができれば,これに勝る好運はない。
こんな夢物語を思い浮かべながら,僕はちょっとした数学の冒険を始めようと思う。数学とは縁遠いはずだった兜町の若者が,いったいどのようにして難解な確率微分方程式の数学を身につけていったのか。そのストーリーを顧みながら,多くの人の役に立つ数学のイメージを取り戻してみようというのだ。
うまくいくかどうかは不明。だが,数学のほんとうの面白さを見いだすためのお手伝いくらいはできるのではないか。案ずるより産むはやすし。さあ,まずは読み進んでいってくれ。
とまあ,最初はこんな風にやろうと思い立ったのだった。そして,この本のタイトルも「金融ビッグバンに学ぶ確率微分方程式」となるはずだった。だが,原稿の締切と僕が組織委員長をやる羽目になった国際会議の準備とが重なってしまい,朝倉書店の川端政晴さんにずるずるとご迷惑をかけ続けているうちに 1998 年の 11 月となり,確率微分方程式の生みの親である伊藤清先生の栄えある京都賞授賞式の日を迎えてしまった。
最初の約束では,伊藤先生の京都賞授賞に間に合わせるべく,川端さんは社内の調整をつけて下さっていたため,僕としては心を痛めながら宝が池の京都国際会議場へと向かった。もちろん,京都賞授賞記念講演を聞くためだった。先端技術部門で授賞したスイス人の実験家の講演が終わり,いよいよ伊藤先生のご登場の時間となったのだが,お姿が見えない。
体調を崩された先生の代わりに義理のご子息が代弁されたのだが,伊藤清先生が書かれた原稿が読み進まれていくうち,僕が知らず知らずのうちに身にこびりつけていた世間の垢が段々と洗い流されていく気がした。数学はあくまで数学であり,厳密性を主眼に置いた自然科学の基礎を与えるものでなくてはならない。
確率微分方程式についての伊藤理論もまた,その意味で数学なのであり,現在のように経済学の新しい基礎を与え,工学的な様々な応用が花開きつつある現状は決して無条件に喜ぶべきものではない。そういう趣旨で原稿をお纏めになった先生のお気持ちが痛いほど伝わってきた。
戦時中,アメリカ軍が夜間爆撃の命中率を高めるために伊藤理論を使っているかもしれないと知った先生は,大いに悩まれた。そしていま,多くの優秀な学生が伊藤理論を駆って,まさに生き馬の眼を抜く国際経済戦争の最前線へとなだれ込んでいる。たとえ実際の兵器を使わなくとも,金融戦士となった若者の命を簡単に奪うほどの経済戦争は,真に戦争でしかないのだ。
静まり返った講演会場に集う財界人や経済界のお歴々に向かい,伊藤清先生の心の奥底から訴えるようなお言葉が最後に披露された。願わくば,経済戦争という戦場に駆り出された若者を一日も早く帰してやって下さい。
先生のこのお言葉を聞き,僕は会場の中の誰よりも自分を恥じた。もし,この本が僕の浅知恵どおりに完成していたものなら,完全に伊藤清先生のお気持ちを踏みにじっていたのだ。その意味でも,僕は先生の言葉に救われた。
僕自身,伊藤清先生の弟子でもなければ孫弟子でもない。ただ,物理の大学院生だった頃に勝手に押し掛け,一度は亡くなられる前の湯川秀樹先生とも同席し,僕のつたない理論を聞いていただいたことがある。今思えば,随分と恐いもの知らず,恥知らずの院生だったのだ。
そんなわけで,僕は川端さんのご理解を得て,止まっていた原稿の最初から大幅に手を入れながら,伊藤清先生に頂戴したお叱りの言葉を噛みしめるようにして再スタートした。数学は厳密性が命であり,自然現象の記述を務めとする芸術なのだ。
だが,まともな数学教育は受けていない僕に,そんな離れ技ができるわけもない。大いに困ってしまうのだが,人間困ってしまえば開き直って何とかなるものだ。開き直るには原点にたち帰るのが一番。そう考えた僕の頭に,そもそも物理の院生だった僕が確率微分方程式に触れるきっかけを作ってくれた,プリンストンの数学者エドワード・ネルソンが少し前に出版していたモノグラムがあったことが閃いた。
厳密性を大事にし,自然現象の記述に適した形の後半の種本は,これだ。
Edward Nelson, “Radically
Elementary Probability Theory” (Princeton University Press, Princeton, New
Jersey, 1987)
【あとがき】
数学は厳密性が命であり,自然現象の記述を務めとする芸術なのだ。果たして,これがうまく伝えられたかどうか心配だ。理学部の数学科でも,まだ確率微分方程式を論じる講義は少ない。ましてや,他の学科や学部にいたっては何をかいわんや。そんな状況では,これから確率微分方程式を研究したり,あるいは自然科学の様々な分野に応用していこうと考える若者が出てくれるわけはない。
というわけで,朝倉書店編集部の川端政晴さんの熱意に押し切られた形で確率微分方程式の入門のまた入門の本を書くことになった。本来はもっと早い次期に書き終えるはずだったのだが,父親の他界と国際学会の組織委員長として準備のために東奔西走する毎日が続いたことで,予定を半年も遅れてしまった。といっても,隙を見つけては少しづつ書き進んでいくことなど僕には不可能で,結局はこの年末から正月にかけての休日で集中的に書き殴ったのだ。まー,おかげで退屈しないですんだ。
だが,問題も多かった。立派な書斎など縁遠い身ゆえ,昔読んだ数学書などは大学に置いてある。そして,女子大小路こそないが,ミッション系の由緒ある地方女子大学は夏休みや冬休みには大学自体が閉鎖(バリケード封鎖ではない!)になり,猫は入れても世間の垢にまみれた教員は入れないのだ。従って,久しぶりにちゃんと確率微分方程式の理論を調べようと思っても,身の回りには何もない!
まあ,かなりいい加減にではあるが,長年親しんできた確率微分方程式ならばある程度は空で念じることはできる。だが,僕も川端さんも,自然科学に応用しようという向きだけでなく,純粋に数学として確率微分方程式を研究しようという向きにも大いに刺激になる入門書をもくろんでいた。そのためには,入門書だからといって平たく丁寧に簡単に書き進めるのでは役立たずだ。
数学そのものを勉強しようという若者には,懇切丁寧で誰にでもわかりやすい入門書は無用。求められているものは,やさしそうでいてあちこちに数学の気高さと品位を秘めた難しそうに見える話をさらりと入れることだ。要するに,取調室の刑事さんと同じ。宥めたり,透かしたり,時としてはカツ丼をとってやったりするのに似ているかもしれない。
だが,いくら難しい議論も散りばめたいとは思っても,手元に何もないのでは最初から全部自分で考えていかなければならない。これは,僕が最も不得意とするところだ。では,どうする!? 頭を抱えた僕は,世間も暮正月の休みだから高校で同級だった舟木君と大倉君のどちらかは岡山に帰っているかもしれないなどと,安直なことを考えた。二人とも確率過程論で東と西の大御所に上り詰めているのだから,訊ねて行けばすぐに教えてくれるはずだ。だが,この時期に訊ねれば,当然ながら酒が入り,その結果正月開けに脱稿の予定がずれることになり,三度川端さんに迷惑をかけてしまうこと必至。
だが,天は見捨てなかった。正月開けに原稿を送ることになっていた人工知能学会の学会誌用の解説のために,がらにもなくゲーデルの不完全性定理について勉強するために鞄に薄い基礎論の本を二冊入れておいたのを見つけたのだ。実は,その一冊がプリンストンの数学者エドワード・ネルソンが少し前に出版していたモノグラム
Edward Nelson, “Radically
Elementary Probability Theory” (Princeton University Press, Princeton, New
Jersey, 1987)
だった。中を見ると,ゲーデルから出発して超準数学を持ち出し,マルチンゲールについてのかなり精密な議論を展開しているではないか。
超準数学を使った解析学,即ち超準解析ならば,僕は出始めの頃から場の理論の論文などで使ったこともあったし,ジュネーヴ大学や正月に閉鎖されている大学などで微分方程式の解の存在定理を証明するところまで講義したことがあった。だから,慣れているといえば慣れてはいた。だが,超準解析の手法で確率過程や確率微分方程式を論じるには,普通はレーブ測度を持ち出すかなり高度な技術が要求される。そのわりに,超準解析を持ち出さなければ証明できないものは出てはこない。ということで,超準解析で確率微分方程式を論じるのには躊躇があったのだ。
だが,ネルソンの薄い本を見ると,測度論に頼らずに直観的な有限確率空間に終始している。もちろん,最終的に超準な概念を全く含まない普通の数学の枠組での命題に引き戻すには,それなりの苦労があるのだが,まあ入門の入門ということで目を瞑ることにした。超準数学の枠組に留まることが不安な向きは,是非基礎論を勉強して超準を追い払う研究に埋没してくれ。
本を書くということは,自分の現時点での理解がこの程度のものなんだということを世間に公言することであり,実に恥ずべき好意だ。おまけに,僕は確率過程論の専門家を何人も知っていて,日頃は確率論にも詳しいような顔をさせてもらっていた。だが,この本が出ることによって,実のところあいつは確率論のことは全くわかっていなかったということが露見してしまい,もう出入り禁止にされてしまう可能性が高い。というわけで,最後に明記しておこう。
確率論セミナーの諸先生,諸先輩,御同輩,そして後輩の皆さま,この本の原稿は左手で書いたものであり,右手で書けばもう少しはまともなものになったはずです。どうか,お見放しなきよう。
最後の最後に,ここまで読んでくれた親愛なる読者のために,次に読み進むべき本を一冊だけ推薦しておく。
Paul Malliavin,
“Stochastic Analysis” (Springer, Berlin, 1997)
1999 年 1 月 3 日午前 3 時
岡山の愚居にて
『量子の道草 ―― 方程式のある風景』(日本評論社)品切れ中

【まえがき】
「量子の道草」というタイトルから、ひょっとして文芸書の棚に並べてくれる本屋さんがないだろうかと密かに期待しているのだが、果たしてうまくいくかどうか。副題には「方程式のある風景」とあるが、これとて数学や物理の棚に並ぶというよりは、やはり文芸か芸術っぽい雰囲気に騙されて随筆コーナーに置いてもらえるかもしれないのだ。実は、これは単なる期待というよりは、計算された目論見に近いのだ。大都会の大手の書店はともかく、多くの人がふと立ち寄る駅裏の路地にある小さな本屋さんには、理科系の本を置くゆとりがない。ほとんどが、漫画と週刊誌、それから婦人雑誌にグラビア月刊誌、そして店の奥の方の棚に売れ筋の文芸書や軽い随筆があるといったところ。これでは、何かの間違いで本屋で手にした本がきっかけで、将来(立派なとはいわないが)数学者や物理学者になるという逸話の生まれようがない。理系離れ、数式嫌いが叫ばれ始めて久しいが、その原因を教育現場だけに押しつけるのも酷なことだ。街角の本屋さんの店先に理系っぽい本が並ばなくなったのだって、ひとつの立派な要因ではないか。
しかし、何年置いても売れるかどうかも分からない理系の本が書店の親父さんに敬遠されるのも事実。だからといって、はい左様ですかと引き下がり、文佐衛門さんや善二郎さんのお店のフロアーだけに甘んじるのは嫌だ。例え返本時の間違いでもかまわないから、駅裏の小さな本屋で林真理子や俵まちの本の隣に置いてもらいたい。そう思った僕は、狡賢くも計算ずくでこんな紛らわしいタイトルを強引につけてもらった。果たして、計算どおりにことが運んだのか、はたまた完全な裏目に出てしまったのかは、いまこの本を手に取っている皆さんだけが知っている。さあ、せっかく何かの間違いで手に取ってみたのだから、ここは運命のいたずらに身を任せてみてはどうだろうか? 少なくとも、値段以上の価値はある本なのだから。
こんな押し売り口上の端書きで始まるからには、僕もある程度の覚悟は決めている。最後の最後まで読んでみて、あーやっぱりこんなの買わなきゃよかったと思ったとき、その由を読者カードに書いて投函いただきたい。抽選で年間3名様に僕が愛用のマック連動刺繍ミシンで縫い上げたシュレーディンガー方程式のワンポイント入りのポロシャツを進呈しよう(抽選発表は雑誌数学セミナーの紙上)。ご覧のように、あのイギリスの数学者ロジャー・ペンローズ卿にも気に入ってもらえた代物だ。奮って苦情をお寄せいただきたいところだが、まずは中身をご覧じろ。
さあ、始まり、始まり。
【あとがき】
本を書く,そして臆面もなく出版するということは,かなり恥ずかしい行為ではある。朝永振一郎先生のお言葉にあったと思うが,本を出すということはその時点での著者の理解がその程度のものにすぎないという事実を公衆の面前にさらけ出すわけだから,赤面せずにはいられない。従って,大方の場合本を出すのは年をとってからがいいということになる。つまり,他の人が読んでも,なるほど著者の理解には凄いものがあると唸るくらいにその主題に精通し尽くした時点でしか出版は許されないのだ。
だが,雑誌の連載記事は違う。もちろん,毎日が締切日の新聞記事も違う。まず,出版する。とにかく,印刷する。何とか,間に合わせる。むろん,つたない理解を暴露したからといって,赤面などしている暇はない。次号の記事の締切は容赦しないのだ。
この本は,そういう意味では本ではない。なぜなら,中身は全て,締切に追われながら書いた雑誌の連載記事なのだ。「数学セミナー」という一般向けの月刊誌と,「素粒子論研究」という素粒子論を研究している日本の物理学者向けの月刊誌とに連載あるいは単発的に掲載していただいたものに少し手を入れて集録してある。本としての体裁を繕うために,雑誌での掲載順序と章建ては大きく食い違っている。後半にある「数学的補講」が一番古い。つまり,まだだいぶ若い頃に書いたもので,内容はともかく書き方が下手だ。「数学的補講のための準備」は,自分で書いた原稿をズタズタに書き直され,成りゆきで日本語での文章作法を身につけさせていただいていた頃の作だ。そして,前半の「方程式のある風景」は,自分でもかなり気に入ってスラスラと書けるようになってからの連載だ。
科学者は文章が下手だ。むろん,例外もあるが,大方真理だろう。そもそも,文系の科目が嫌いだからこそ理科に進学した連中がほとんどなのだから。しかし,だからといって科学研究の吹き溜まりで拾い集めた面白そうな話を後身に伝えるという科学者の大切な義務を単なる作家や評論家に委ねるのは問題だ。では,どうするか? そう,科学者も人を引きつける文章作法を身につける必要がある。
僕の場合,運よく(運悪く?)2段ロケットで一気に軌道に乗せてもらった。1段目のブースターは,僕の手からやっと離れた無機質な素描を,満載した燃料を贅沢に使って滑らかで目と耳に心地よい文章に書き換える術なのだが,これは共著で単行本を書くという作業の中で門前の小僧をやった。2段目のブースターは,例え想い入れが強い文章であってもスパスパと切り捨て,残った最小限の文章だけを大事に組み立てていくという度胸のいる術だ。これは,「科学朝日(現サイアス)」に2度書かせてもらったときに,やはり門前の小僧を決め込んで憶えた。1段目だけでも軌道には乗せられないし,2段目だけでもだめ。
1段目も2段目もうまく点火して,初めて軌道に乗る。
こうして,一度周回軌道に打ち上げてもらえば,あとは惰性だけでも落ちずに回り続けられる。そんな気楽な書き方ができるようになってからの連載が「方程式のある風景」だった。そもそも,「方程式のある風景」と称して方程式を絵として眺め,その美しさを堪能しようなどという企みの発端は朝日新聞科学覧の記事だった。そして,一般紙に難解な物理の方程式を絵として登場させるという離れ技を見せたのが,当時科学部デスクに栄転してしまった2段目ブースター女史。(風の便りに,いまは論説委員〔更なる風の便りによれば科学エディター、昔でいえば科学部長様〕とか。2段目のブースターが途中で切り放した衛星本体を追い越してずっと高い軌道に乗ることは,宇宙ならずとも日常茶飯?)
「方程式のある風景」,実にいい響きだ。日常的な光景の中に,さらりと方程式が描かれている。これからそんな世の中に向いていってほしいという願いとは裏腹に,理系離れ,数学離れが進んでいる。このままでは日本の基盤産業の将来は危うい,何とかくい止めなければ! そう考えた教育関係のお役所は,読みやすく分かりやすく楽しそうな理科と数学の教科書を乱発する。むろん,そのために内容を極端に低く抑え,ほとんどの学生が無理なく理解できる範囲に絞った背水の陣の構えだ。そして,これでも理系離れは止まらないと嘆く。とどのつまり,現場の科学者が啓蒙活動を怠っているからだということにされるようだ。
どうも,日本国中どこを見ても,肝心なところで勘違いしている。分かりやすく,内容を簡単にしたからといって,それで理科や数学が好きになってくれると願うのは大間違いだ。難解だからこそ,人を引きつける。多くの人が分からないと嘆くからこそ,それに食らいつくのがかっこよく映る。自分でも本当は何も分からないけれど,少しは分かろうとしているというふりをするのだって,十分にかっこいい。そういう背伸びしたがる連中が,昔の高校や大学には結構いたものだ。僕もその中の一人だったが,毎日持っていく鞄の中にさりげなく入れたコルモゴロフ・フォーミンの関数解析の本は,持つだけで意味があった。もちろん中身は別問題であり,表紙に黒く「関数解析の基礎」と印刷されたカバーのある別の本でもよかったのだ。関数解析をマスターしつつあるよというスタンスが取れる小道具に過ぎないのだから。
結局,くだんの本は一度たりともちゃんと読むこともなく,最後の最後まで鞄の中に入ったままだった。それでも,僕は物理学者の中では関数解析をよく使っている方だし,自慢するわけではないが(といいつつやはり自慢しているのかな?)アメリカの著名な関数解析の雑誌に2度論文を載せたこともある。格好から入っていっても,まあ何とかなる,中身は後からついてくる(かもしれない)。こんなやり方もあると思う。
だが,このやり方でいくためには,簡単で分かりやすいものを並べたのではだめだ。誰でも読めば分かる,痒いところに手が届くように納得できるといううたい文句の本を鞄に入れたところで,かっこいいとは誰も思わない。しかし,書店の棚に並んでいるのは,こういう類のかっこ悪い本ばかりになった。その意味で,僕の時代に比べて,いまの学生は随分と損をしている。鞄に忍ばせ,せいぜい格好をつけるためだけに使える難解な本が消えつつあるからだ。ならば,いったい何で格好をつければよいのか? そう,こうなったら例え意味が分からなくとも,難解な方程式を乱発してしまえばよいではないか。他の人が部屋にアイドルのポスターを貼るなら,自分は朝永・シュヴィンガー方程式にする。友人が流行のブランドのワンポイントを身に纏うなら,例え下手な刺繍でもいいから,世界にひとつしかない方程式柄のシャツを作ろう。
絶えず難解な方程式を身につけていれば,だんだんと親しみもわく。まー,かなりの間は単なる表面上の親しみに留まるだろうが,そのうち中身もついてくるにちがいない。気に入ってしまえば,とことん知りたくなるのは人間の特権だ。いったん好きになりさえすれば,それを深く深く掘り下げていくのは苦痛ではなく快感となる。そして,そこからが数学や理論物理学の醍醐味。楽しみ方は五万とあるが,何も焦って先へ先へと進まなくてもいいではないか。ゆっくりと時間をかけて,方程式の美しさだけを堪能しておく。方程式の意味を学ぶのは,それからでも決して遅くはない。
さあ,若人諸君。まず,手短なところにある図書館に行こう。そして,古びた数学や物理の本を片っ端から手に取ってページをめくる。自分で気に入った方程式,理屈ぬきで綺麗だと思える方程式に出会うまで続ける。これが,理系への王道なのだから。
制作著作=保江邦夫(2007年)
ここがどん底です